スーパークアッド創立者ブライアン・ワトウッドは生粋のカリフォルニア人である。米作の盛んな田園地帯で育ち、自然にめぐまれた環境の中で、ブライアンは若い頃からスポーツに親しんでいた。ブライアンは天性の運動神経の持ち主で、アルペンスキーとカヤックのスラローム競技では卓越していた。
ブライアンはコロラドでの学生生活の2年間スキーに親しみ、その後、カヤック競技にのめりこんでいった。ブライアンはカヤックの全米スラローム選手権ランキングで6位になった時に、米国で最も優秀なカヤック選手として注目されていた。

学校卒業後、ブライアンは山難救助活動、ダイナマイトを使ったなだれのコントロールの専門家、およびプロフェッショナルスキーパトロール員になった。
彼はプロフェッショナルスキーパトロール員の中でも、その技術と業績により、最も高いグレードのエリートランキングを有していた。
のちのWijit(ウィジット)誕生のきっかけとなる、ある出来事がブライアンに起こる。
1987年。快調にいつもの自転車で20マイルの家路を走っていたブライアンだが、夕暮れ時、交差点で不注意な車に衝突され転倒、意識不明で病院の集中治療室にかつぎこまれた。病院では、集中治療室で3日間昏睡状態だったが、強い生命力で奇跡的に命をとりとめることができた。脊椎を損傷しており、2週間のうちに大きな手術を何度も受けることになった。結果として、このとき受けた手術の回数は合計で30回を超えた。
本人も、ベッドで身動きできない状態が続くなか、深い悲しみと絶望感を感じたといっている。幸い、奥さんのロビンの献身的な看病のかいあって、日に日に回復することができ、集中治療室から出て2週間後のある日、ブライアンは自分の指を、かすかに動かすことができることを発見した。これは非常に大きな希望を彼にもたらし、また社会復帰して生きる気力を取り戻すことができた。
その後、不撓不屈の精神力と体力で4ヶ月間の病院でのリハビリテーションをやりとげた。4ヶ月後、通常では考えられないスピードで病院から家に戻ることができたが、頭はボルトとフレームで固定されたままだったし、手の握力もほとんどきかなかった。
そのとき、車いすを自分で動かすことができない、家の中でさえどこにも自分の力では移動できない現実に直面したブライアンは、普通の車いすを、もっと使いやすく、もっとフレンドリーすることを思いつきそのアイデアに夢中になった。
彼のその後の人生は、その夢を実現するため、伝道師としての道のりを歩むことになる。
ブライアンが18年前に見た夢は、そのコンセプトを理解して共鳴してくれる人々をふやしながら、どんどん大きくなってきている。
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